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森という一つの生命体 ①

last update Dernière mise à jour: 2025-05-24 22:56:08
「はい……。彼は私たちの……知り合いです」

 リノアは慎重に言葉を選んだ。その響きにはどこか曖昧さが漂っている。

「彼はヴィクターと言います。私の村の人間です。ですが、彼がどうしてここにいるのか、私たちにも分からないんです」

 リノアの胸に不安が広がる。

「知らない? それは妙だな」

 バルドは腕を組み、リノアに厳しい視線を向けた。

 たまらずリノアが目を伏せる。

 沈黙が落ちる中、それを断ち切るようにエレナが言葉を紡いだ。

「彼はリノアのことをあまり快く思っていないんです。つい最近もリノアに突っかかって来たばかりで……。だから私たちは彼のことを詳しく知る機会がなかったんです」

 エレナは息を整えて更に続けた。

「ヴィクターは木工職人で普段は村の工房で働いています。このような離れた場所にいるのは不自然なのですが……」

「リノア……さっきから気になっていたが、どこかで聞いた名だ。クローヴ村のリノア……。まさか君はシオンの妹なのか? あの森の研究家の」

 バルドの表情が変わった。

──この人はシオンのことを知っている。

 リノアの胸に、ざわりとした感覚が広がった。

「そうです。私はシオンの妹です。あの……シオンのことをどうして知っているのですか?」

 リノアは平静を保ちながら言葉を紡いだ。

「知っているも何も、彼とは何度も会っているよ。ここでね。彼は本当に熱心に森の生態系を知らべていた。森の異変を探っていたんだよ」

 そう言って、バルドは思い出すように遠くを見つめた。

──シオンがこの集落に?

「森の生態系をですか?」

 リノアの抑えた声が森の静寂に溶けていく。

 バルドはゆっくりと頷いた。

「ああ。森の生態系を注意深く観察していたよ。特に菌糸と植物の関係をな。まるで何かを確かめるように」

 菌糸──それは生前、シオンが何度も語っていたものだ。

 リノアは息を詰め、バルドの目をまっすぐに見つめた。

 バルドは腕を組んだまま、遠くの木々を見つめながら続けた。

「シオンは、菌糸がただ自分たちの生存の為といった利己的な理由ではなく、森の生命全体に関わる重要な役割を果たしていると考えていた。菌糸は樹木同士を地下でつなぎ、栄養をやり取りする。健康な木から弱った木に栄養を送ることで、森全体を支える。といった具合にね」

「つまり、菌糸がなければ森は栄養の流れを維持できず、衰えてしまう
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